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コスモポリタン美術館
出張展示場


油彩その2 その3


コスモポリタン美術館
出張展示場

「北の国から」シリーズ


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「でんでん太鼓」(墨絵)

2024年3月18日 (月)
娘、孫二人連れて来宅。

3月18日、起床時マイナス3度、積雪61センチ。埼玉県本庄市在住の娘が息子二人を連れて昨日来宅した。上の子は今年4月に東京理科大学4年生になり将来大学院に進む予定で、下の子はこの3月熊谷高校を卒業し、4月から熊本大学医学部に入学することになっているため、しばらく祖父母に会う機会がなくなるので、娘は仕事で忙しい合間を縫って、孫を連れて里帰りしてきた。

孫二人は両親の働く姿を見て、特に母親が50歳を過ぎても色々な資格を取るため主婦の仕事をする傍ら頑張っている姿を見て育っているので、よく勉強し浪人することなく第一志望の大学に合格したのは偉い。私の子供二人は、高校入学までは希望校にすんなり入ったが、大学入試では希望の国立大学に入学できず、それなりの合格した私大を蹴って、二人共志望校目指して一浪してしまった。

母子家庭で育ち北海道沼田高校生だった私は4年制の大学へ進学する生徒がせいぜい学年で3,4人ぐらいしかいなかったけれど、進学することしか考えていなかった。高校英語教師を退職し、20年以上水彩画家として活動してきた私自身の人生を振り返ってみる時、孫の頑張りに教えられるところが多い。冷静に考えて、大学入試時にもっと努力する時期があったと思われる。しかし、第一志望の大学に入学していたら私の人生は変わっていて、今の満足度は無かったかもしれない。

今日、娘家族が帰る時、下の孫が「おじいちゃん、僕が医者になるまで待っててね。」と言って帰った。せいぜい「長生きするからね。」と答えるだけだった。いくらなんでも何度も死にかかっている私が10年近く生きるのは奇跡でしょう。

2024年3月14日 (木)
雪解け進まず。

3月14日、起床時気温マイナス7度、積雪72センチ。今朝はプラスチックごみの収集日なので、早めに起床しごみステーションにゴミを置きに行ってきた。置きに行くのが遅くなると、ステーションの箱が満杯でぎゅうぎゅう押し付けないとゴミが入らない。とにかく私がこの地に居を構えて50年で人々の日常生活や食生活も大きく変わり、近場でスーパーなどの商業施設がたくさんでき食料品、惣菜などもいろいろ買いやすくなり、それに伴ってプラスチックごみが多量に捨てられるようになった。

私がこの手稲前田に住むようになった50年前には、ごみ処理の決まりがどうなっていたかはっきり記憶にありません。我が家では隣の空き地にドラム缶を置いて燃やせるゴミは自分の家で焼却処分をしていた。廃材や燃やせないゴミなどは家の前に置いておいて、決められた収集日に市のゴミ収集車が集めていったのではなかったろうか。この新しい住宅街に家が密集するようになり、町内会が発足するようになり、軽川の土手際などにゴミステーションが数か所作られてからは、勿論敷地内でゴミの焼却はできなくなった。

この冬の札幌の降雪状態は例年に比べてどうなのか分からないが、3月に入ってからも雪が溶けるかと期待しているとどっと雪が降ったり、雪解けが期待ほど進まない。天気予報を見ても、今週末に雪マークが並んでいて雪融けが遅いようだ。あと10日ばかりで私は86歳になるが、家の中でじっとしているのがつらく、適度に雪が降り除雪作業を楽しんでいる。今は毎日家の前の道路の氷割り作業で筋トレをしている。結構重い道具を使っているが、毎日続けているのが良いのか、身体に痛みが残ることはない。

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