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コスモポリタン美術館
出張展示場


油彩その2 その3


コスモポリタン美術館
出張展示場

「北の国から」シリーズ


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「カタクリ」(水彩 SM)

2019年8月16日 (金)
戦後74年目を迎える。

今日の札幌手稲は朝の気温が21度と、10日ばかり続いていた10度台の気温が少し高めになり、日中もほとんど変わりなく特に暑くもならなかった。ただ、夕方5時現在まで台風の影響かずっと小雨が降り続き、多少風も強めに吹き続けている。明朝あたりから風雨も強くなると予想されるので、家の周りの片づけをしっかりしておいた。

昨日8月15日は終戦記念日であったが、私の家族にとってはその後の運命を変える重要な日であった。昭和20年8月15日朝私の家族父母と子供5人が名古屋駅から愛知県開拓団に応募して北海道の幌加内村政和に向かう予定だった。しかし、列車は満員で乗車することができず、ひとまず出発は後日と空襲で罹災後間借りしていた電車の浄心駅近くにあった石川さんという畳屋さんの二階に戻ってきた。その直後にラジオ放送で終戦を知り、両親は渡道をためらったようだが、戦争で焼きだされて財産をほとんど失っていたので、やむを得ない渡道となった。

学童疎開していた3人の子どもたちを呼び戻し、疎開を兼ねた開拓団応募は戦争がもう少し早く終わっていたならば名古屋にそのまま留まっていて、家族の運命は
変わっていたかもしれない。8月に渡道して開拓団に加入したが、父は厳寒の地で11月に病死し、母は42歳で5人の子供を残され大変な苦労を強いられた。結局翌年長姉が見つけてきた母の就職先の沼田村の小中学校の借り上げ住宅に移住した。母が結婚前に岡崎の女学校で教師をした経験が生きたのだった。

その後74年の我が家の歴史は省略するが、数年前に長兄が亡くなった以外5兄弟は全員80歳の年齢を超え、現在長姉が90歳で末子の私も81歳になっている。昨日は長兄の納骨されている発寒の金毘羅密寺と銭函駅裏にある妻の弟の納骨堂にお参りしてきた。戦後74年兄弟それぞれに多少の苦労をしてきたが、なんとか長く生きながらえている運命の選択は良しとしなければならない。

最近漫画家のちばてつやさんもNHKあさイチで戦争体験を語られていたが、彼は私より1歳若く自分の戦争体験は語り繋がなければならないと話されていた。私も何度か戦争体験は生徒たちに語ったり、いろいろな紙面で発表してきた。何故か今年は天皇の代替わりなのか、新聞紙上でも戦争体験の記事が多いようだ。私も7歳時の記憶をリニューアルして、教職員互助会手稲支部会報に戦争体験を応募しようと思っている。

2019年8月12日 (月)
旧赤レンガ庁舎の彩色

昨日(11日)10日間の真夏日明け後、定期検診等の用事も済み、日曜日で道庁勤務の職員の通行のない日を狙って、赤レンガ庁舎の彩色に出かけた。7時の開門前でないと落ち着いて前景の彩色ができないので、5時半頃までに現地に到着するようにしている。開門前でもおよそ鉄柵の間から見える状態で、中の木々や草花の様子は想像することはできるが、レンガの塀や5本の門柱は人のいない方が彩色しやすい。

早朝5時半頃には大通美術館の前の道路脇に車を駐車し、標章車の許可証を運転席前に立てかけ、居場所を書いたカードも置いてゆっくりキャリアーを引いて赤レンガプラザ広場まで歩く。300メートル弱なので苦しくなることはない。標章車と言えども駐車できる場所にいろいろ条件が付けられているので、いつも戻ってきて違反ステッカーが貼られていないか気にかかるものだ。たまたまこの場所は以前南大通りで駐車違反ステッカーを貼られて出頭した札幌警察署の斜め向かいである。あの時は条件付きの場所から何メートル足りないということで違反金を取られてしまった。

赤レンガ庁舎の陰影は10時頃と決めて休み休み仕事を進めていった。食事は隣のビルの1階にあるコンビニを利用し、廊下の向かいにはトイレも有り便利である。昨日は暑くもなく、むしろ朝方は寒いぐらいで、薄手のジャンパーの袖を長く伸ばして11時頃までに彩色を終えた。休みながらおにぎりを食べている間に6組ほどの観光客とおしゃべりも楽しんだ。

最初韓国の5人グループと英語でおしゃべりをした。次にタイの女性が翻訳機を見せて「写真を撮ってもいいですか。」と尋ねてきた。最近テレビで数万円で購入できる翻訳機のことを知ったばかりで、初めて本物を見て便利になったものだと感心した。3組目は札幌のお年寄りの女性で絵を描いていたことがあるようだった。4組目は埼玉県上尾からのご夫婦で、ご主人は絵を描いていると話されていた。上尾は全国教研で訪れたこともあり、娘が本庄市に住み、熊谷で仕事をしているので話も通じた。

5組目が韓国か中国の女性3人で、母が画家で娘がデザイナーということで、50枚ほどの絵はがき見本ファイルをお見せし、私はアマチュアですと言ったが、えらく感心されてしまった。6組目は大阪からの母と小学生の息子さん二人だった。お母さんは中国人で子どもたちは中国語も英語も喋れるようだった。上の子は英語で話してくれた。おしゃべりの時は椅子に座って休めるので、心臓手術による身障者にとっては丁度良いのかもしれない。

今日は涼しかったので、家の裏と横の花々の移植と清掃で一日を過ごした。

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