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コスモポリタン美術館
出張展示場


油彩その2 その3


コスモポリタン美術館
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「北の国から」シリーズ


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「運河滞船」(油彩 F100, 1976年)

2024年3月26日 (火)
好天続きで雪融け進む。

3月26日、起床時気温マイナス6度、積雪46センチ。この1週間好天の日が多く、庭の積雪も20センチ近く少なくなった。例年なら庭の土が顔を出し、福寿草が咲き始めていることだと思いますが、この春はやっと庭の雪割りを始め、カーポートと歩道のアスファルトの上に雪を出し溶かしている。この2,3日札幌も日中10度近くまで気温が上がり、雪融けのスピードも増している。今日も午前、午後と雪割り作業に励んでいる。

昨日は2ヶ月に一度の眼科通いの日で3種類の目薬を処方してもらってきた。前回は午後から病院に行き視力と眼圧を測ってもらったため、かなり計測値が悪くなっていて心配した。今回は9時開院まえに病院に行き2番めに診察してもらった。測定値もほぼ元に戻っていてひとまず安心した。来年の2月まで車の運転を続ける予定なので視力には気を使っている。

2024年3月21日 (木)
積雪ゼロは4月になるか。

3月21日、起床時マイナス6度、積雪65センチ。この冬は3月になっても時々10センチ以上の降雪があり、雪融けが大分遅れそうだ。昨年は3月20日に札幌の積雪がゼロになったと昨日テレビで報道していた。今年の現在の町内の道路脇のうず高く積み上げられた雪が道路の見通しを悪くしているので、車を運転しながら角々で車の往来に十分注意して運転しなければならない。

3日前に孫たちが埼玉に帰ってから家の中はすっかり以前の静けさに戻った。この4年間はコロナの襲来であらゆる活動にブレーキがかかり、私は街に出ることが全くなくなり、年に10回ほどあった童謡唱歌を歌う「いろりっこの会」も休業状態になり、歌を歌うことが皆無になったため、声帯が衰えほとんど歌を歌えなくなった。日常の会話の声を出すことはできるが、歌を歌うとなると低音も高音も全く歌にならない。声帯が全く機能しなくなってしまった。

なんとか好きな歌を歌えるように声帯を鍛えるため、カラオケのセットを買おうと息子に相談したら、彼は自分の持っているゲーム機や新たに必要な道具を購入して、我が家の43インチテレビで街のカラオケボックス並みのカラオケ装置を準備してくれた。早速よく歌っていた「昴」と「見上げてごらん夜の星を」歌ってみたが、全く声が出ない。

私のためにカラオケ装置を用意した数日後に孫がやって来て、歌うことが大好きな下の子が我が家に滞在中ほとんど一人で歌い続けていた。まさかおじいちゃんの家に来てカラオケボックス並みの装置で無料で何時間でも歌えるとは思っていなかったと大喜びだった。私達はただ孫が歌うのを黙って聞くだけだった。いつも友達と1500円ぐらい払って、7時間ばかり歌っているそうで、家では風呂に入って大声で歌っているようだ。今度は私も元の声帯を取り戻すため無理せずカラオケを楽しもうと思っている。

2024年3月18日 (月)
娘、孫二人連れて来宅。

3月18日、起床時マイナス3度、積雪61センチ。埼玉県本庄市在住の娘が息子二人を連れて昨日来宅した。上の子は今年4月に東京理科大学4年生になり将来大学院に進む予定で、下の子はこの3月熊谷高校を卒業し、4月から熊本大学医学部に入学することになっているため、しばらく祖父母に会う機会がなくなるので、娘は仕事で忙しい合間を縫って、孫を連れて里帰りしてきた。

孫二人は両親の働く姿を見て、特に母親が50歳を過ぎても色々な資格を取るため主婦の仕事をする傍ら頑張っている姿を見て育っているので、よく勉強し浪人することなく第一志望の大学に合格したのは偉い。私の子供二人は、高校入学までは希望校にすんなり入ったが、大学入試では希望の国立大学に入学できず、それなりの合格した私大を蹴って、二人共志望校目指して一浪してしまった。

母子家庭で育ち北海道沼田高校生だった私は4年制の大学へ進学する生徒がせいぜい学年で3,4人ぐらいしかいなかったけれど、進学することしか考えていなかった。高校英語教師を退職し、20年以上水彩画家として活動してきた私自身の人生を振り返ってみる時、孫の頑張りに教えられるところが多い。冷静に考えて、大学入試時にもっと努力する時期があったと思われる。しかし、第一志望の大学に入学していたら私の人生は変わっていて、今の満足度は無かったかもしれない。

今日、娘家族が帰る時、下の孫が「おじいちゃん、僕が医者になるまで待っててね。」と言って帰った。せいぜい「長生きするからね。」と答えるだけだった。いくらなんでも何度も死にかかっている私が10年近く生きるのは奇跡でしょう。

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